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第一回目の配置薬資料館に引き続き、富山市売薬資料館をご紹介します。
江戸時代以来、薬づくりは行商人自らが行う自家製造が主流でした。売薬商人は、旅先から帰宅後、次の行商に出かける数カ月の間に、
薬種商から薬種を仕入れ、自宅で集中的に薬を作りました。
しかし明治時代以降、近代化が進むにつれて製薬会社が製剤を行うようになり、売薬商人が薬づくりに携わることは次第になくなっていきました。
売薬資料館には、昔の売薬さんが薬づくりの際に使用した道具の数々も、多数展示されています。 |
薬種商とは、売薬行商人に薬種(薬の原料)を販売する薬種問屋のことを言います。
江戸時代には数軒しかありませんでしたが、明治時代になると大小40軒以上の薬種商が富山市内で営業していました。
その後、会社工場への製剤集中などにより、薬種商は売薬会社や薬局などに転換していきました(現在の薬事法上の薬種商とは異なります)。 |
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